最良の相手とは
ジジジ・ジンギスカン。
むかし北海道の羊ケ丘展望台で、生きてる羊ちゃんたちを眺めながら食べて以来。
数か月にわたっていろいろ誘ってくれる男の人から
ホワイトデーのお返しということで、ジンギスカン。
この人は不思議な人で、
誘ってくれるわりに何も起こらない。
手もつないでこないし触れてもこないし
なにかほのめかすような(私が気づいてないだけかもしれないけど)言葉もない。
別れる際も見送ってくれない。
あまりセックスアピールとかを感じないタイプで
「嫌なことが何もない」からよくご一緒しているが
「独り占めしたい」とも思わないし
「私を抱きやがれ」的な衝動もない。
私は二十代を、不毛で熱烈な恋愛に漬かって過ごしてきて
その相手(1人)は私を相当過保護に扱った。
真逆方向でも、酔ってても、終電でも、かならず私の最寄駅まで送り届け
かならず手をつなぎ離さず、その他、宝物のようにたいせつに扱った。
(結果的に全然大切にされてなかったと、今は思うんだけど)
私もその相手が、当時はすごく好きだったし離れたくなかったし
恋愛/彼氏ってこういう存在のみだ、と信じて疑わなかった。
でもそいつと別れて、まわりをぐるりと見回してみると
どうやら彼氏・彼女はそういう暑苦しいものばかりではない様子。
「超絶好き」というカップルばかりではないということも知った。
好きで好きで、笑顔が瞼の裏にちらつくわ~ぐらい好きじゃなくても
キスやセックスしたりする人がいて、それがわりとスタンダードでもある説も知った。
そして過去そういう疲れる恋愛を経てたり、
三十代になったりしてることで
再びそういう熱烈恋愛には陥りにくいことも、身をもって実感してる。
だから、その「一緒にいて嫌なことが何もない」相手と
こういうボーっとした感じでなんとなくつきあう、っつーのも
ありなのか? 将来を見越してしたたかに選択すべきか?
これもまた好きの形か? などなど、最近は多少混乱していた気がする。
その混乱期の、「この人でいいのかも」波の上下の上昇中に
その人からなにかしらのアクションがあったらよかったんだけど
特になく、私も多少のゆさぶりをかけてみたりしたけど特にアクションが起きず、
ただただ、おだやか~に時が過ぎていった。
そして最近、別候補が登場。
なかなかの変わり者ながら多少のボディタッチや駅まで送る的な
(それが判断基準というわけでもないけど…)
多少の好意にじませ系アクションをしてくる。
この人も見た目はたいしてタイプじゃないし
「次、あの人に会うまでに痩せなきゃ・キレイを磨かなきゃ」とは
(どちらに対しても)思わないので
よくわかりませんが、「べつに嫌なわけじゃない」は共通しています。
排卵期とかに会ったら「抱けよ」と思うのかもしれないけど。
すごく夢がない表現で恐れ入りますけど。
そういう別候補が登場し、前者に対して
「もう何がしたいかわからないし面倒だからもういいや。切ろう」
と、芽もムードも何もかもを脳内からとっぱらった途端。
「つぎは、2人でまったりデートしたいな(owo)」
という、気持ち悪めのメールがくる。
そう、「あれっ、やっと(アプローチの)重い腰があがったか?」とかじゃなく
「今さら気持ち悪いなこの人」と思ってしまったんですね。
10年来1人とつきあい続けた私にとって「まったりデート=セックス」だからね。
そう思ってしまうようになったタイミングで、送ってくるんですね。
こういうのもご縁がないっていうことだろうなあ。
かっこいいお友達を紹介してもらえるかもしれないから
そういう場限定で会おうとほのめかして、お返事しなくちゃなあ。
でもなんとなくお返事できないでいる。